フリーターデビューしてまず感じたこと。

昨年の4月から国家試験の勉強のため

専門学校に通ってました。

ストレートで受かれば去年の今頃

私は恵比寿の道路で背負い投げなど

されることもなくフリーターデビューを

していたのだろう。

 

しかし、私は昨年学科の時点で落ちてしまい

1年間勉強期間を増やし今年やっとの思いで

学科を突破した。

実技の結果は12月までわからない。

 

10月から社会人デビューすることも

可能だったけど私の入りたい会社の都合と

私の「半年間フリーターしたい」という

強い願望により4月まで無職の身となった。

 

さて。

いざ迎えると困った。

中学では初心者ながら強豪校のバスケ部に入り

引退までバスケに熱中した。

引退したら受験勉強があり、

高校に入ったら生徒会に入り

3年の前期の引退まで副会長を務めた。

土日はお笑い芸人の追っかけに励んだ。

専門への進学は勉強も必要なかったので

小さい頃からの夢である芸能ごとに没頭した。

専門に入学し彼氏のことしか考えられなくなり

振られたら建築のことと新しい恋に没頭、

国家試験の勉強が始まり、

国家試験の勉強が終わった。

 

思い返せば

中学生以来ぼーっと過ごす時間を

作ったことがない。

 

やりたいことはある。

海外に行きたい。

好きだった人に過去の告白をしたい。

いろんなことを学びたい。知りたい。

もちろんも短歌をつくりたい。

 

しかし、それを強制してくれる

環境がないこと自体がわたしには初めてで

そのやりたいことさえ「本当にしたいこと」で

はないような気になってしまうのだ。

沢山ありすぎて、しかも抽象的すぎて。

 

この虚無感から早く脱しなければ

結局脳内の傑作に捕らわれた

何もなし得ない時間だけが

残ってしまいそうで怖い。

 

半分、青いの律じゃないけど

わたしも多くの名前に守られてきた。

だから今こそマッパの状態の自分を

見つめ直すときなのかも知れない。

 

ふぅ、熱が出て

あまり外に出られないので

しばらく向き合ってみようと思います。

おやすみなさい。

 

オープンリー・ゲイになりたい。

 

最近恋人ができてから

ネットの世界にいるときは

セクマイを公言している。

 

そのせいか、

そっち界隈のフォロワーさんが増えている。

私は書きたいことを書き続けるし

需要があるならみてほしいなって思っている。

みんな読んでくれてありがとうね😊

 

セクマイを公言していると言うか

私はあんまりリアルな世界でも

好きな人に好きって言ってるタイプだから

オープンな方だと思う。

 

それを受け入れてくれる人は

沢山いるけどそうでない人もいる。

とっても仲の良い呑み友がその1人。

ふつうに恋話とかしてる分には

ニコニコしてくれるのだけど

その相手が女子だとわかった途端に

目つきが変わる。

早くこの話題終わらせてっていうのが

すごく伝わってくる。

 

 

その人にまだ

恋人が女子だという話ができていない

ただ、恋人ができた話はした。

ややこしいのはここからだ。

酔っ払ってその人に「恋人とお台場に行ったんです!」って言ってしまうとFacebookに女の子をのせられない。

「あれ?恋人とじゃなかったの?」ってなる。

「はい!この人恋人です。」というのは

あの表情がフラッシュバックして

なかなか言えない。

 

それが最近嫌でモヤモヤする。

恋人のことを中途半端にのろけたせいで

学校でも偽らなくちゃいけなくなる。

 

嘘をつくのも批判されるのもどっちもいや。

だから私はリアルでも

オープンリーゲイになりたいと

最近思い始めている。

 

オープンリーゲイで成功した例しか

私は知らない。

身近?話を直接してた人だと

奥光之助さんという歌手だったひとは

とっても楽しそうに見えた。

だから今はそう思えるのかもしれない。

ただ、オープンリーゲイになるために

私が懸念していることが二つある。

一つ目は

家族が周りに何か言われてしまうのは嫌

二つ目は

社会に出る際に不利益な情報になりうる

これらの二つがある以上すぐには

オープンリーゲイになれない。

生きていく上で一つの目標として

「オープンリーゲイになる」というのを入れ

少しずつ侵食して生きたいと思う。

さて何からはじめよう。

 

すごくすごくふつうに惚気たいし

恋の相談も周りの人にしたい。

たったそれだけ。

カミングアウトなんてなくて

みんなおでこに書いてあればいいのに。

 

 

第2の誕生日

日にち変わって昨日、

私は第2の誕生日を迎えた。

 

3年前の7/24に短歌を始めたし

LGBTの仲間入りをした。

 

私のみてる世界が大きく変わり

色んなことを意識して敏感に捉えようと

毎日毎日思っていた。

 

人は生まれた時の記憶がない。

節目を大事に思っている自分にとって

それはすごくやだなと感じている。

 

しかし、人は生まれ変わったとき

固定概念が180度変わったとき

その瞬間を絶対に忘れないような気がする。

少なからず私は日にちは忘れても

出来事の記憶がずっとこべりついて

離れない。

 

それがあの恋だった。

 

LGBTとしての恋。

認めたくなかった自分のことや

どうしようもないのに好きな相手のこと

行き場がない苦しくもあり

とても愛おしい感情を消したくなかった。

でも、私の使っているリアルなつながりの多い

SNSには残せないことだと思っていた。

だから短歌を作り始めた。

作品としてなら残るし認めてもらえる。

認めてもらえるというのは

「非難されない」という最低限のことまでかも

しれないけど私はそれで良かった。

十分すぎた。

 

その恋が始まってからちょうど3年。

私には恋人ができた。

相手は女性。

 

お付き合いして2ヶ月ほどしか経過してないが

ここ2週間くらいで「あ、この人私にとって将来傷になる人だな。」と思い始めた。

 

3年前のあの感情を消したくなくて

その間にできた恋人たちには申し訳ないが

何度も何度も頭の中で3年前の夏にトリップして繰り返し感情を掘り起こしていた。

 

今の恋人もつい最近までは

そういう風に過ごすと思っていた。

 

けど何故だか

すごく自然に腑に落ちて

今までの気持ちが供養されたかのように

「微笑ましかった思い出」になった。

もちろん楽しくて甘酸っぱかった記憶は

無くならないし大事なものだけど

感情に対してピリオドが打てた。

 

🏳️‍🌈

そういうのもあって

ずっと変えてなかった「ペルセウス座流星群」は

短歌を作る時に必要な名前ではなくなった。

なんとなく偽っている気がして

今はこの名前では短歌を作るのが不自然に感じる。

 

あ、この「ペルセウス座流星群」は3年前に恋に落ちたころ流れていた流星群からとったの。

 

 

それから短歌を書く時の名前を

考えるようになりました。

 

次から短歌を読む時

自分のことを素直に言葉にしたいと思ってて

そういう名前にしたいなって考えてました。

 

そんなとき

言葉仲間の

2人とお話しする機会があり

早速相談しました。

 

そしたら本名の話になり

「私の名前は繊細なサラサラしたような布の意味を持つ」という話をしました。

そしたら素敵な名前だなって言ってもらえて

その意味を崩さないで名前を決めよう!って

思って話を進めました。

 

絹。

もうそのままです笑笑

薄いガーゼのような布。

蚕とか繭も候補にはあったのですが

有力候補繭が母の名前の音なので

ちょっと遠慮しました。

 

あとは

絹が一番しっくりきたからです。

私も自分のこと、短歌、恋愛、友達

色んなものを紡ぎ布を作っていきたい。

そう思いました。

 

以上が

私が名前を作る理由と

それが絹だという理由です。

長くなったのに最後まで読んでくれて

ありがとうございます!

今日も良い日になりますように🌙

おやすみなさい。

二丁目とその他の世界について

先日、言葉の人たちと二丁目オールしてきた🌙

場所が場所なだけあって

色んな感情と言葉がすっと馴染みやすかった。

固定概念を捨てられるからだと思う。


あえて失礼な言い方をすれば、

社会生活においての「当たり前」が

おざなりになっている。

 

もしかしたら、みんな意識して

様々な「当たり前」を態度に出さないように

気をつけているのかもしれない。

恋愛のことだけでなく

仕事のこと、未来のこと、考え方のこと。


私も会話をする時自分の「当たり前」を

押し付けないよう、正義としないよう

気をつけて言葉を発してたのだと思う。


だから、セクシャルマイノリティーじゃない方も

「当たり前」を重りに感じて日々に疲れていたら

行ってみると元気をもらえるかも。


考え方や思考の違う人とお話しすると

消化不良の気持ちたちに名前がついて

供養されていく。心地の良い感覚。


供養もその時に生まれた言葉。

 

ああ、

あの空間は本当に最高だったな。

みんな素直な気持ちの良い場所だったな。